タレントにとって「イメージ」というものがいかに大事なものか。
剛力彩芽さんの例を見るだけでもよくわかります。
女優であれタレントであれ、自分が商品である自覚があるなら「何色にも染まっていない」ということは最低条件であるし、「何色にでも染まることができる」というのも求められる要素だと思うわけです。
だのに、何かをする以前にすでに「誰かの顔が浮かんでしょうがない」というイメージが定着してしまったら、よりどりみどりの人材から選ばれるということは単純に難しいでしょう。
唯一のレギュラー番組といっていいが…
アンビリバボーな事態もありうるか
剛力さんとZOZOTOWNの前澤社長がお付き合いをすること、それ自体は何も悪いことじゃないですが、やはり剛力さんは女優。
オファーがあれば、いろいろな役をこなさなくてはならない。
貧しい役も、不遇な役も、その役柄になりきって演じるということが求められるわけです。
しかし、大金持ちの彼がいつも傍らにいたとしたらどうでしょう。
少なくとも、貧しい役柄、不幸な役柄などは演じにくいだろうなと素人ならそう思います。
技術的にそこを難なくクリアしても、やはりチラチラっとバックグラウンドにエンマークが見えてしまったら作品に没頭することは難しいし、共感などとは程遠い感情になってしまうことは否めない。
わかっているけど、よぎるわけです。
大金持ちの彼氏の存在が。
個人としては楽しい交際であるだろうし、プライベートで誰と付き合おうと剛力さんの自由だし、誰の許可もある意味要らないのでしょうが、そういう考えならそもそも女優という職業の選択は果たして正しかったのだろうかと、違う疑問が湧いて来るわけです。
本日発売の『週刊新潮』では、剛力さんが『奇跡体験!アンビリバボー』のMCをから降板させられる危機があることを報じています。
これはリアルに番組を視聴していた者にとっては膝を打つぐらいわかる話なのですが、
「前略…、”大富豪のカノジョ”という立場は、番組ではどうしても扱いづらい。VTRを見て”40万円の修理費をケチったために……”とコメントしても嫌味っぽく聞こえる。アメリカの不動産王を取り上げた際も、MCの恋人の方が金持ちなので視聴者が白けてしまう。番組放送後、毎回のように彼女の発言がネットで炎上する状況も見過ごせなくなってきました」
と、フジテレビ関係者も嘆くほど。
それはそうです。
悲喜こもごも、世界のお金持ちの話が出てきても、確かにその説明をしているMCの剛力さんの彼氏のほうが何十倍も資産を持っていることがわかっていると、まったく内容が入ってこないばかりか、心のどこかで馬鹿にしているのじゃないだろうか、このぐらいのお金でもめてと思っているのじゃないかと、そう邪推してしまうわけです。
それはそうですよ、月へ行くことができるほどの資産ですから。
ほとんどの話は「へぇ〜〜」止まりだろうなと、たとえそうじゃないとしてもそう想像してしまう。
剛力さんがMCをしていることが、そうなってくるとそもそもどうなんだろう?という思考回路になっていくのも自然といえば自然の成り行きなわけです。
視聴者離れが加速する前に番組関係者が剛力さんをMCから降板させるという選択肢も今後現実味を帯びてくるのじゃないでしょうか。
「結婚はない」と明言している前澤社長のインタビューでの言葉を知らないはずはないと思うので、剛力さんは剛力さんで今を楽しく充実させているのかもしれないですが、これが女優でなければ「いい経験でしたね」と言えるのでしょうが、先々のことを考えるとやはり大富豪の彼女、あるいは元カノというどちらの称号も仕事の幅を狭くしたのかもしれませんね。
ただ、誰にでもできる経験ではないので、ここは芸能界での生き残りを捨ててでも人生の醍醐味を短期間味わうというのもまた「生き方」かもしれませんが。
(出典・引用元:週刊新潮 2018年12月13日号)