沢田研二が公演中止で謝罪も理由に呆れるネット・世間の声

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沢田研二が公演中止で謝罪も理由に呆れるネット・世間の声

 

ジュリーこと沢田研二さんがスーパーアリーナ公演をドタキャン。
当日、しかも開演間近のいきなりの中止ということで世間を大いに賑わせた沢田さんですが、なんと騒動後始めての公演が大阪で21日に開催されるのだとか。

一体何を話すのか。再び世間の注目を集めています。

本日配信された『スポニチアネックス』の記事では、

20日午後、大阪に向かうため横浜市の自宅を出発。オレンジ色の旅行バッグを手に黄色のジャンパー姿で、迎えのタクシーに乗り込む際、待機していた報道陣からの「明日は公演をやるんですか」との呼び掛けに「予定通りです」と応じた。続けて、ファンに向けての言葉や思いを聞かれると「ステージ上で言います」と明言。騒動について公演で言及する考えを示した。

 その後、新横浜駅からのぞみ37号に乗って新大阪駅に到着。スポニチ本紙記者の「明日は何を話すつもりですか」などの質問にも、手を顔の前に上げて「ごめんなさいね」と丁寧に対応。次の公演に向け、すでに気持ちを切り替えている様子だった。

 一方、この日から、来年1月19~21日に日本武道館で行われる3日間連続公演のチケットの一般販売がスタート。同公演では計3万人を動員する予定だが、大手プレイガイド関係者は売れ行きについて「現状はあまりよくない」と話している。

 今日の公演で騒動後初めてファンと向き合う沢田。約1200席の客席は既に完売している。17日の公演をドタキャンした理由に挙げた「スカスカの状態」とは対照的な満員のステージで何を語るのか。今後の歌手人生をどう歩むつもりかが見えてくるだけに注目される。

(引用元:『スポニチアネックス』10/21 )

 

プロとは何ですかね。

アーティストとしての美学があるのはいいけれど、その美学を貫くためにファンをないがしろにしたのでは美学もへったくれもない。ただのわがまま。



一定の集客が望めなければ公演を行わないという取り決めは事前になされていたわけだから、当日まで引っ張っての公演中止ということは段取りが悪すぎる。なにせチケット販売の結果を見れば望む客数に達していないことは明らかなのだから、それでも決行しようとしたイベンターもイベンターなら、そうはいっても目の前に自分のコンサートのためにあらゆる諸事情を整理して駆けつけたファンがいるというのに顔も見せずに帰るジュリーもジュリー。

ファンの年齢層を考えれば、これが人生最後のコンサートになる可能性だってゼロじゃない。そういう想像力と愛があれば、自分の美学のために目の前のファンを置いて帰ることなんてできないはず。契約上のトラブルがあったとしても、それはファンには関係のない話。

プロならやるべき。そしてコンサートを滞りなく終えたあとに、今回の集客云々、契約について喧々囂々話し合えばいいわけで、その不手際のツケをファンに「甘える」形で払わせるなどもってのほか。

つまらない「意地」のためにどれだけのファンを失望させたか。
考えることもないのかな。

ネット・世間の声

逆に意地になって開催しろよと。埋まらなかった自分の現在の人気・立ち位置考えて、それでも来てくれてる7000人を心から楽しませて帰ってもらえば次があるでしょ。体調に問題とかではなくて良かったとまで言ってくれるようなファンが気の毒だわ、過去の栄光にすがってる老人のワガママに振り回されて。



「埋まらなかった」ことより「埋めようとした」ファン心理を大切にすべきでしたね。そうでなければ埋めようとしたファンからも見放されますよ。

ファンの人が許すとしても、間違った判断だと思う。イベンター、所属事務所と話し合えばいいことであって、ファンの人を巻き込むのは許されない。

何カ月も先のチケットをとることにリスクを感じる(行けるかな…と)人もいる。ご家族のお世話を誰かに頼んで出かけた人もいると思う。それはジュリーの歌を聴きたいからです。ひどいです。

ジュリーも落ちぶれた!集まってくれたファンに対して、プロ根性を見せられないなら、引退したほうがいい。

本当に何様なんだろうと思いました。ファンの事を大切にする人なら、少なくてもやるでしょう。傲慢な人なんだと思いガッカリしました。
埼玉スーパーアリーナを埋めれないのは、すべて自分の責任であって、今回の事でまた離れていくファンがいると思わないのでしょうか?

 

 

7,000人それぞれに「人生」があると想像できれば、こういう結果にはならないでしょうね。
先の公演・コンサートを予約するために、遠く未知の土地で開催されるコンサーのために、一体どれほどの時間と労力とお金を使うかを想像できたらこんなひどい仕打ちは絶対にできない。普通の生き方、普通の人々の心がわからない人間が果たして素晴らしい歌手と呼べるのか。呼べるはずもない。

歌手がいるからファンがいるのじゃなく、ファンがいるから歌手という職業が成り立つことを忘れてはプロ生命も終了です。